細く冷たい雨に乗って冬が来る

今日も天気が悪い、朝から冷たい雨が降ってる。起きたときはそうでもなかったのに時間が経つにつれて気温がぐっと下がってきてる。冬の冷気が少しづつこの集落に侵入しているようだ。午前中のうちに台所廻りの掃除を済ませたので、余っていた生姜を擦って鍋の中でシナモンと砂糖で煮詰め生姜湯を作った。これが結構美味しいもんで、そのまますった生姜が喉にガツンと来る。一旦作業を止めて一服することの愛おしさを最近になってようやく実感するようになった。ただ暖かいモノを飲んで外を見たり外に聞き耳を立てているだけで良い心地になれる。音がなくて寂しいときはラジオや音楽をかけたりするのだけど、外に聞き耳を立てるというのはいい。とても落ち着くし頭の中でいろんなことを考えられる。窓の外には砂嵐のように小雨が降っていてさーさーと音がしている。季節の切り替わりを肌で感じていると去年の寒さやストーブの暖かさを思い出す。頭で覚えていること映像で覚えていることそれとは別に身体で覚えていることがあるような気もする。

「雨が降ってきますよ,もう止めませんか?止めましょう」

庭の木を切ってる。今年やり残した作業を一つずつ片付けてる。自分がこの家に越してくる前から庭木の剪定は誰もしてないから、枝が込み合って暗い影が落ちている。東の空は晴れていて西の空から灰色の雲が流れてきていた。いよいよ本格的な冬になるんだろうな、また寒くなるんだろうな。 爺ちゃんが建てた家は、昔土砂崩れで半壊した家をトレースして建てられていて、ところどころ不自然なところがあるけど何の不満もなく生活できている。台所から右手に六畳の部屋が繋がり、爺ちゃんがいた頃はこの部屋は茶の間として使っていた。今は自分ひとりだから布団を敷いてここで寝起きしている。その六畳の北側と東側に吐き出し窓が付いていて庭木とその向こうに隣のおっちゃん家と山の稜線が観えている。 木の成長はとても素直だ。その環境・空間の中で最短の合理性に向かって生長する。でもそこに人の暮しが加わると2つの接点に摩擦が生じる。これ以上伸びてくれるなとかそもそも木を切るのが億劫になるとか、そんなこんなで放任されて時間が経つ、それでも木は健気に成長していくのだけど、気が付いた頃には枝の生長する流れが複雑に絡まりあって、狭くて暗い息苦しいカタチになっている。剪定の作業はこのつまりを一本一本解いていく作業に似ている。流れを整えるような感じというのか、人の気持ちと似たようなもので余計な枝を間引いてスペースをつくって大事な枝に流れを集中すると、見た目にも実際の風や光の抜けとしても気持ちよくなる。そうした細かい一つ一つが複雑に絡まりあって景色になる。 そんなことをイメージしながら庭木の剪定を続けていると、そこへ通りかかったひさながのおっちゃんが「雨が降ってきますよ,もう止めませんか?止めましょう。」と声をかけてくれた。気が付くと真上の空は灰色の雲に囲まれていてぽつぽつ雨が落ちてきていた。そうか込み合った庭木の下にいたから気づかなかったんだなと思って「そうしましょう」とおっちゃんに声を返した。